使用者:JuneAugust/伊號第三五潛水艦
外觀
伊號第三五潛水艦(いごうだいさんじゅうごせんすいかん)是一艘大日本帝國海軍巡潛乙型(伊一五型潛水艦)潛水艦。伊號第二六潛水艦一樣為乙型的第16號艦,1942年(昭和17年)8月31日在三菱重工業神戶造船所竣工。
在北部海域的作戰後,前往中部太平洋執行任務。
艦歷
[編輯]- 1942年8月31日 在三菱重工神戶工廠竣工,船籍編入吳鎮守府
- 12月1日 與伊34一同到達大湊
- 12月9~10日 到達基斯卡島
- 1943年1月19日 從基斯卡島出發前往橫須賀,但在美軍登陸安奇卡島後被召回
- 6月2日 回到吳港,之後轉往神戶進行修理
- 9月8日 被重新分配至第六艦隊
- 1944年1月10日 確認全員喪生
- 4月10日 除籍
最後的出撃
[編輯]1943年(昭和18年)
- 10月11日 - 從楚克島出發。
- 10月16日 - 威克島方面來襲を予想されたアメリカ機動部隊に備え,配備を下命さる。
- 10月23日 - 威克島方面,敵來襲せず。ハワイ監視配備を下命さる。
- 11月13日 - 阿巴里靈阿環礁,富納富提島を経て,埃斯皮里圖桑托島北西海面に進出,敵艦船攻撃を下命さる。
- 11月19日 - 美軍の吉爾伯特群島來襲により,甲潛水部隊を編成,同方面配備を下命さる。
- 11月20日 - 塔拉瓦島の南西70海里にて空母を含む大部隊を発見。
- 11月22日 - 聯絡中斷,消息不明,從此日起被推定為MIA。
- 11月23日
戰鬥前夕的電報
[編輯]本艦の被害状況を調査した結果、航行不能帰還できず。本艦明朝を期し、敵艦隊に突入せんとす。各艦の健闘を祈る。イ三五号潜水艦長
據美軍側資料記載伊號第三五潛水艦的結局
[編輯]1943年(昭和18年)11月22日午後、正規航空母艦護衛中的ブリストル級駆逐艦「Meade(ミード)」以及「Frazier(フレーザー/フレイジャー)」は、塔拉瓦環礁南方沖にて水中音波探知機にて潛水艦を捕捉、爆雷攻撃後に浮上した潛水艦へ砲撃を加えさらに「Frazier」の體當たりにより撃沈した。北緯1度22分、東經172度47分。
沉沒時的主要乘員
[編輯]以下95名 (沉沒時死亡92名,另有3名被救起其中1名因意外死亡。)
歴代艦長
[編輯]艤裝員長
[編輯]- 山本秀男 少佐:1942年5月23日 -
艦長
[編輯]- 山本秀男 少佐:1942年8月31日 - 1943年11月22日戰死
腳註
[編輯]參考文獻
[編輯]- 雜誌「丸」編輯部《寫真 日本の軍艦 第12巻 潛水艦》光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 外山操《艦長たちの軍艦史》光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
- 福井靜夫《寫真日本海軍全艦艇史》ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1